忍者ブログ
社稷を思う心
[108] [107] [106] [105] [104] [103] [102] [101] [100] [99] [98]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

平和主義を唱える人たちへ 


引用開始

少し前の話になるのだが、駅前で辻立ちをやっていた共産党の市議会議員(多分)が

「世界の全ての人が平和を望めば平和はやってくるのです。なのに・・・」とか何とか

言っているのを聞いた。その時は「宗教がかってるなぁ」と思っただけで通り過ぎたの

だが、後になって少し考え直した。それが実現可能だと思っている人は少ないにして

も、「みんなが望めば平和になる」と考えている人、それを(無意識のうちに)前提にし

て平和や戦争を語る人は結構多いのではないか、と。

筆者はこの「みんなが平和を願えば平和は訪れる」という考え方がどうしても好きに

なれない。正直言って、思考停止の言い訳に使っているとしか思えないのだ。今回

はそのあたりのことを考えてみたい。

結論から言えば、地球上の60億人の人間全てが、一人の例外も無く平和を心の底

から望んだとしても、平和が訪れる事はありえない。平和を望むことと、平和という

状態を作ることの間にはなんの関係も無いのだ。

試しに、ちょっとした思考実験をやってみよう。ある無人島に2人の人間が漂着した

としよう。この無人島には海の幸も山の幸もふんだんにあり、2人は毎日腹八分目

くらいまでは食べることができる。ただし、食料は無尽蔵ではなく、2人が満腹にな

るほどは食料は取れないものと仮定してみよう。また、このふたりは心の底から平

和を愛しており、自分の相棒を排除して食料を独り占めすることなど想像すら出来

ない人畜無害な人たちであると考える。

この前提条件が、一般社会に比べて随分争いごとが起きにくい条件である事は読

者の皆さんにも同意してもらえるだろう。では、この仮定は無人島の平和を保証す

る事ができるのだろうか?残念ながら答えはノーだ。

彼らは自分自身が平和を愛しており、相手を害する気持ちが全く無い事を当然知

っているが、読心術をマスターしているわけではないので、互いのパートナーが何

を考えているかは知ることが出来ない。だから、ふたりともパートナーが実は平和

を愛していないのではないか、自分を後ろから刺すつもりなのではないか、という

疑問を完全に拭い去ることが出来ない。もちろん、日々の会話の中で相手を害す

る気持ちが無い事はいくらでもアピールできるのだが、いくら口で説明してもその

説明が嘘で無い事を証明する事は出来ないのだ。


さぁ2人の状況は非常に不安定だ。ふたりとも争いごとは好まないのだが、無防

備にかーかー腹を出して寝ている間に訳も分からず殺されてしまうのはもっと

いやだと考えている(もちろん、たまには「殺すくらいなら殺される方がマシだ」

と言う人もいるのだろうが、それを実践する人は常識的にも歴史的にも極めて

少数なので、考えないことにする)。相手の事を信じたいのだが、信ずるに足る

保証は何も無い。相手が平和を望んでいない確率は多分かなり低いのだが、

馬券を買うのと同じ感覚で自分の命を賭けるのは馬鹿のやることである。

この場合、自分が「確実に」生き残るための唯一の方法は、相手を殺すことだ。

相手が自分を殺そうとしているという疑念を100%払拭する方法が存在しない

からだ。馬券と違って自分の命はかけがえの無いものなので、例え確率が低

くても殺される可能性があるなら、自分が先手を打って殺してしまった方が良

い。だから、ふたりがどれだけ平和を願っていたとしても、その彼ら自身が凄

惨に殺しあう可能性は高い。というより、上の条件から導かれる唯一の結末は、

無人島に着くなり互いに殺し合いを始めることなのだ。ふたりは自分たちの置

かれた状況を考慮して「今後無人島で生活していく間に相手が自分を殺そうと

する確率はゼロではない。それなら先手必勝だ」と瞬時に判断し、同時にナイ

フを抜くわけだ。

平和を願うふたりの間ですらこのザマだ。もっと人数が多かったら?話す言葉

が違ってコミュニケーションに問題があったら?みんなが平和を望んでいたと

しても、平和の維持なぞ絶望的だと思わないだろうか。平和を願うのは簡単だ。

しかし、相手を信頼する事、信頼してもらう事は、ただ願うことよりもはるかに

複雑で難しいことなのだ。そして互いを信じ合えないことこそが平和を壊す決

定的な原因なのだ。


随分と突飛な事を言ってるな、と思われただろうか?そう感じるのは、筆者も

含めて皆さんが法治国家に住むことに慣れているからだ。いくら殺される可

能性があるからと言っても、先手を打って殺してしまっては懲役+殺人の前

科で自分の人生は台無しだ。殺しても殺されても自分の人生はパァなので、

法治国家に生きる文明人は若干の殺されるリスクを(無意識のうちに)ぐっと

我慢して日々を平和に過ごしている。

一方、無人島では当然法律は存在しない(法律を守らせるための警察力が

存在しない)ので、殺し合いが起きやすい。しかし、無人島でもふたりが殺し

合いを始めないような状況を設定する事はできる。例えば、この無人島には

ふたりがかりでならなんとか仕留められる猛獣が徘徊している場合。または、

食料をゲットするためにはふたりが協力しなければならない場合。このような

場合は、相手を殺してしまうと自分も猛獣に食べられてしまうか飢え死にして

しまうので、又相手にとっても自分を殺すと同じことが起こると確信できるの

で、ふたりは安心して平和をエンジョイすることができるのだ。

つまり、平和を保つために重要なのはふたりの間に共通の利害関係が存在

することなのだ。共通の利害関係が平和のための決定的な要素、すなわち

信頼を生むのだ。

残念ながら無人島に猛獣がいなかったとしても、共通の利害関係を作り出

す事はできる。例えば、ふたりが自分の腹に小さな爆弾を埋め込み、互い

にパートナーの心音が途絶えたら爆発するようにセットすれば良い。ふたり

が殺し合いをすることはまずなくなるだろう。たとえふたりがどんな悪人で

あろうとも、ふたりは絶対的な信頼で結ばれるはずだ。一蓮托生、一心同体

の間柄なのだから(ちなみに、「攻めてきたら全面核戦争してやるぞ」という

『核による平和(相互確証破壊)』は、まさにこの考え方そのものだ)。

これでお分かりいただけたと思うのだが、例え平和を望んでいなくても、共

通の利害関係があれば平和は維持される。平和を願う事は、実際の平和

にほんのこれっぽっちも役に立たないのだ。


まぁ、誰かが教会辺りで必死に平和を祈ってたからといって誰かが困る

わけではないので、別に平和を願うことを非難するつもりは無い。問題

なのは、こういう感覚で政治や外交を語ってしまう人が少なくないことだ。

「みんなが平和を願えば平和になる。私も平和を願ってる。それなのに戦

争が続くのはどこかに平和を望んでない人がいるからだ。そうだ、ブッシュ

が全て悪いんだ!」ってな調子である。願えば平和になると思っているの

で、戦争の裏に渦巻く様々な政治的・経済的な利害関係など考えようとも

しない。この利害関係こそが平和をもたらすために最も大切な点であるに

もかかわらず、完全に思考停止してしまうのだ。

さらに始末に悪いのは、こういう考え方をする場合「自分は平和を達成す

るための努力(=願うこと)をしているのに、それを邪魔する奴がいる!」

というノリになりやすいことだ。だから自分は相手(ブッシュとか)をけちょ

んけちょんに非難する絶対的な資格があると信じ込んでしまう。そんなわ

けで、いわゆる平和主義を唱える人たちは大概独善的で、人の話を聞か

ない。その上思考停止しているのでは、議論が成立するはずが無い。

平和主義を広辞苑で引いてみると、「平和を理想として一切を律する思

想上・行動上の立場」とある。この定義から言えば、極端な話、人類社

会を滅ぼすほどの核兵器を用意することも、立派な平和主義なのだ。

重要なのは、平和をもたらす思想と行動とはなにか、思考停止に陥るこ

となく真剣に考えることだ。

平和主義を唱える人たちへ。もう一度、この平和主義の言葉の意味を考

えて欲しい。そして、平和をもたらすものがなんであるのか、感情論を排

してじっくりと考えて欲しいのだ。そこを抜きにして憲法第9条を尊重せよ

といくら叫んでみても、憲法前文の「国際社会において名誉ある地位を」

占めることなど、到底かなわないことではないか。

本日のまとめ

平和への願いが平和を生む事はありえない。平和のために必要なの

はお互いが信頼しあうことだ。

信頼関係を作るもっとも簡単な方法は利害関係を共有すること

引用終了





絶大な権力の支配下もしくは、絶大な共通敵の前において人々は平和を維持できる。

人類はアメリカも支那もロシアも黙り込む絶大な権力を地上に打ち立てることができるだろうか?国連はその絶大な権力足りえてはいない。支那は中華主義をロシアはユーラシア主義をアメリカはグローバリズムを捨てない時に、国連は絶大な権力たりえない。では、ひとつの帝国主義が世界を覆うときにはじめて世界は平和になるという道を選択して、いずれかの帝国に与して平和主義の未来を託すか。


日本はいかに日本民族の生存と自立を勝ち取る事ができるだろうか?

わたしは、多極化する世界において、日米安保(アメリカ帝国主義)や、宗教的な平和主義(侵略容認・帝国主義迎合)や革命的な亡国主義(自覚的敗北主義・支那帝国主義)に日本の未来を任せてはおけない。

新風の躍進を願う。
 







がんばれ新風


 がんばれ!維新政党 新風


 せと弘幸演説「ワーキングプアを無くそう!」 


せと弘幸演説集 


人気blogランキングへ
PR

コメント
説得力のある思考実験
けんぶつさん、こんばんは。初めまして。
説得力のある思考実験ですね。
いわんや魑魅魍魎溢れる国際社会をや!ですね。
すべての人が平和を願って平和な世界を得るほど人類は進化してないですね。
現実を冷静に見つめ、現実的に考えれば、新風の政策が最も冷静沈着であると思います。
妥協や利権の産物としての政策は国を危うくします。
【2007/07/22 18:58】 NAME[ナルト] WEBLINK[URL] EDIT[]


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


トラックバック
この記事にトラックバックする:


忍者ブログ [PR]
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フリーエリア
最新CM
[01/17 Michalrerb]
[01/17 ViktorianAtogs]
[01/10 痴女]
[09/10 鳩ヶ谷]
[09/10 鳩ヶ谷]
最新TB
プロフィール
HN:
けんぶつ
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析